こんにちは、みのりです。
昨日、東京都を含む1都3県と北海道で緊急事態宣言が解除され、
47都道府県で解除されることになりましたね。
緊急事態宣言時は
外出自粛~飲食店等の自粛要請~通勤電車混雑緩和のためテレワークの推進等、
感染対策はなされましたが、一方でコロナによる経済停滞が原因で企業の業績悪化予想が後を絶ちません。
そして、企業によっては派遣社員等の非正規雇用の雇止めがじわじわと来ているといった状況です。
要は派遣切りというやつですね。
派遣切りといえばリーマンショック以降に社会問題化しましたね。
派遣社員の雇止めがいくつも起こり、失業者が増えました。
今回のコロナによる影響でも同じようなことが起こっています。
ところでこの派遣社員という存在、昔からいたわけではありません。
昭和時代は正社員が基本で、派遣社員を雇って人件費の削減♪
という政策を企業は取っていませんでした。
しかし、バブル崩壊後、企業の体力の弱体化に伴い、
本業での利益がガタ落ちになりました。
企業が生き残るためにとった戦略は、非正規雇用の人を雇い、
人件費を削ることでした。其の削った人件費が費用削減となり、どうにかして
利益を確保するように努めた、ということです。
そもそも派遣社員とはどのようにして生まれたんだっけ?
という話を歴史から振り返ってみようと思います。
派遣社員は、中曽根内閣の「派遣法」成立に伴って生まれた
もともと日本では労働者の派遣は正社員の仕事を奪い、雇用を不安定化させる
「常用代替」になる恐れがあるとして禁じられていました。
しかし、1985年の中曽根康弘内閣において、常用代替になりにくい専門的な知識・技能を
必要とする一部の業務に限って、労働者の外部調達が解禁されることになりました。
その根拠として成立した法律が、「労働者派遣法」であったのです。
その法律制定時の対象となっていた業務というのは、
「ソフトウェア開発」「事務用機器操作」「通訳・翻訳・速記」「秘書」「ファイリング」「調査」
「財務処理」「取引文書作成」「デモンストレーション」「添乗」「建設物清掃」
「建築設備運転・点検・整備」「案内・受付・駐車場管理等」という13業務が対象でした。
現代となっては良くある業務のイメージがあると思いますが、
当時は専門的要素が強い職種だったのでしょう。
さらに、追い打ちをかけるように翌86年の施行時には
「機械設計」「放送機器等操作」「放送番組等演出」という業種が追加され、
16業種の人材派遣が認められるようになりました。
さらに、現在の経団連が1995年にバブル崩壊後の日本企業向けに労働者を
3つの種類にカテゴリするよう提言しました。
其の3種類とは、
「長期蓄積能力活用型グループ」「高度専門能力活用方グループ」
「雇用柔軟型グループ」です。
「長期蓄積能力活用型グループ」、つまり管理職や幹部社員のみを
常勤雇用とし、他の2つは、
置き換え可能で、賞与も昇給も雇用保険も
必要ない、外部からの人材を賄うことで総人件費の抑制を推奨することとなった。
しかし、この提言を実行に移すためには、その当時の施行されていた労働派遣法では不十分だったので、
当時の与党であった自民党はこの経団連の提言を丸呑みする形で動き始めた。
1996年の橋本龍太郎内閣で新たに10業種派遣法の対象業種に加わることになった。
その対象業種とは、「研究開発」、「事業の実施体制の企画・立案」
「書類等の政策・編集」「広告デザイン」「インテリアコーディネーター」「アナウンサー」
「OAインストラクション」「セールスエンジニアの営業」「放送組等における大道具・小道具」
「テレマーケティングの営業」であった。
さらに1999年には小渕恵三内閣が港湾、建設、警備、医療、製造の5業種を除くすべての業種で
派遣を可能とする大幅な規制業種が加わりました。
これにより多くの企業が派遣を利用し、派遣会社も誕生するきっかけになりました。
そして2003年には小泉純一郎内閣により医療、製造も許可し、さらに規制緩和がされました。
さらに、派遣を可能とする期間も上記専門職種の26種は3年から無制限へ、
製造においても1年から3年へ延長することになりました。
すなわち、派遣社員を長期的に雇用が可能になることで、企業にとっては恒常的に人件費を抑えることが
制度上可能になってしまったわけです。
企業にとっては旨みでしかないですよね。その旨みを知った企業が多く誕生し、
若者を中心に非正規雇用の拡大へと繋がっていったのです。
実は2009年の民主党政権誕生の際に、派遣法の改訂の動きもあったんですね。
おそらく、国としてもこれを拡大させ続けたら将来的に収入が減ると気付いたのではないでしょうか。
原則製造業の派遣の禁止を案としていたのですが自民党の猛反対にあい、結局その部分は削除されてしまいました。
当時主に若者をターゲットに「柔軟な働き方」「会社に縛られない自由な働き方」「新しい働き方」が売り文句の様に言われていたらしいが、
雇用の不安定化や働きやすさにはつながっているとは現実問題言えないというのが実情でした。
なぜなら、企業の労使関係で、企業側が強い力を持っていたので。
多くの企業には労働組合というものが存在しますが、その労働組合が昔と比べて力が弱まってしまう出来事があったのでした。
次は労働組合の力が崩れるきっかけになった出来事について書いていこうと思います。
では!
参考文献:藤田孝典『棄民世代 政府に見捨てられた氷河期世代が日本を滅ぼす』SB新書